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議会報告 政治・経済

真珠湾攻撃と山本五十六に学ぶ2016/12/08    

75年前の今日、その後の海戦のあり方を根本的に変えることになる史上空前の戦いがありました。

いわゆる真珠湾攻撃です。

なぜ、日本が真珠湾攻撃(対米戦)に踏み切らなければならなかったのか?

その理由については、当ブログの12月6日付けのエントリー『安倍総理の真珠湾訪問』をご参照ください。

さて、対米戦を連合艦隊司令長官として指揮した山本五十六についてです。

山本五十六には、対米戦の劈頭に、なんとしてでも米国太平洋艦隊の拠点たる真珠湾を壊滅しなければならない、という強い信念がありました。

彼は海軍次官のとき、「水から石油がとれる」という詐欺話にひっかかって、海軍省のカネをだまし取られたことのある少しオッチョコチョイな男でしたが、昭和14(1939)年に連合艦隊司令長官に就任し、真珠湾攻撃を立案し実行するに至るまではまことに見事な軍人でした

どうして「・・・でした」なのかは、後ほど。

まずは、何が史上空前だったのか、です。

我が帝国海軍は、「赤城」「加賀」「飛龍」「蒼龍」「翔鶴」「瑞鶴」の6隻の空母(航空母艦)に350機の航空部隊を載せ、なんとその航空攻撃力だけで米国太平洋艦隊基地を壊滅させてしまったのです。

当時は未だ、大艦巨砲主義の時代でした。

大艦巨砲主義とは、戦艦と戦艦が互いに大砲を射ち合うことで海戦の勝敗を決する、という戦闘概念です。

当時の日本の海軍航空部隊は既に世界最強でしたが、航空部隊だけで敵機基地を壊滅させたことで、それまでの海戦の常識であった大艦巨砲主義の時代を終わらせてしまったのです。

山本五十六は、昭和3(1928)年の海軍水雷学校の講演で、「将来は航空機が戦争の中心になることが考えられる。もし米国との戦争になるなら、早い時期にハワイやフィリピンなどの米軍基地を殲滅する必要がある」と既に述べています。

昨今、山本五十六を主人公にした映画等では、彼をあたかも反戦論者のように描いていますが、昭和3(1928)年の段階において、彼は既に「対米戦は避けることのできない道」であることを悟っていたのだろうと推察します。

米国空母「エンタープライズ」と「レキシントン」は真珠湾に不在であったため、その2隻は撃ち漏らしましたが、我が空母機動部隊の完璧なる航空機攻撃は成功をおさめ、ハワイに停泊していた米国戦艦部隊を壊滅させるという戦果を得ました。

ただ、現場の指揮官たる南雲忠一という無能な男のために、基地内にある海軍工廠や飛行場等への攻撃(第二次攻撃)は見送られてしまいました。

そのことが、後の戦局に大きな影響を与えることになります。

というか、この時の第二次攻撃の見送りが日本の敗戦の主要因だった、と言っても過言ではないほどの失態でした。

のちに米国のハーマン・ウォークという歴史作家(日本でいうと司馬遼太郎みたいな人)が、「このとき、もし第二次攻撃が行われていたら、東海岸に展開していた米軍の海軍力を西海岸(太平洋側)に集中せざるを得ず、そうすれば英国に援軍を送ることもできなくなるので英国がドイツに負け、中東の石油が日本に楽々と入ることになった。石油を手に入れた日本は・・・」という趣旨のことを述べています。

当時、米国太平洋艦隊司令長官だったチェスター・ニミッツも、「あのとき第二次攻撃をやられていたら、米国の艦隊は半年間にわたり太平洋での展開は不可能であった」と述べています。

そうすると、日米決戦の分水嶺となってしまったミッドウェーでの敗戦もなかったことになります。

なので、真珠湾での第二次攻撃を行っていれば、少なくともあのような敗戦には至らなかったはずです。

よく、「歴史に『もし』はない」と言いますが、「もし」がなければ歴史を洞察できないのも真理です。

もともと日本は米国本土への侵略を目的に開戦したわけではなく、石油さえ入ってくれば日本に戦争する理由はありません

なので、石油が確保され、戦局が有利になった段階のどこかで日本は和平交渉に持ち込んでいたことでしょう。

以上のことから、戦後教育の言う「日本は無謀な戦争を仕掛けた」は、まったくの嘘です。

私は、第二次攻撃を行わなかった南雲忠一を心の底から恨みます。

因みに、この南雲という男、私は日本史上で一番きらいな人物です。

一方、山本五十六ですが、いち早く大艦巨砲主義から空母機動部隊による航空攻撃重視へと転換したその発想力と構想力と実行力には感服するほかはありません。

ところが・・・

真珠湾での成功以後、あの戦艦大和が完成します。

日本海軍はそれを旗艦にしました。

戦艦大和は当時としては超が5つつくほどの巨大戦艦だったそうで、それに乗り込み感動して「やっぱり大艦巨砲主義も悪くねえかなぁ」とでも思ってしまったのか、なぜか山本五十六は再び大艦巨砲主義(航空戦力軽視)に戻ってしまうのです。

翻って、真珠湾での凄まじい航空部隊による攻撃をくらった米国は、大艦巨砲主義を捨て、山本五十六が構築した空母機動部隊(空母に数多の航空機を載せて攻撃する部隊)を真似して、大規模かつ早急に整備し運用することになります。

以後、巨艦を誇った「大和」も「武蔵」も、米国の航空機攻撃に太刀打ちできず、太平洋の藻屑と化してしまったのは周知のとおりです。

これからの海戦は航空機の時代だ、と言っていたのは山本五十六なのに。

逆に言うと、山本五十六を再び大艦巨砲主義に戻してしまうほどに、戦艦大和は凄かったのでしょう。

もし戦艦大和がなければ、あのような敗戦には至らなかったかもしれません。

戦艦大和の偉大さが、不幸だったのか?

いや、いかに戦艦大和が偉大であったとしても、信念を曲げることのない山本五十六であって欲しかった・・・