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議会報告 政治・経済

靖國神社への合祀2016/10/13    

報道によりますと、昨日(10月12日)、石原慎太郎元知事や亀井静香衆議院議員らが、西郷隆盛など明治維新前後の戦いで敗れた人たちをも靖國神社に合祀するよう申し入れをしたとのことです。

『「西郷隆盛や白虎隊も靖国神社に合祀を」亀井氏ら
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161012/k10010727511000.html

亀井静香衆議院議員や石原元東京都知事らは、12日、靖国神社を訪れ、西郷隆盛や白虎隊など明治維新前後の戦いで敗れた人たちも近代日本のために志を持って行動したことは認めるべきだとして、神社に合祀するよう申し入れました。(後略)』

合祀の要請に対して靖國神社の徳川康久宮司は、「すぐに対応するとは言えない」と即答を避けたようです。

さて、靖國神社は、津和野藩士の福羽美静香らが京都東山の護国神社(当時は未だ護国神社ではない)において、嘉永6(1853)年の黒船来航以降に命を落とした同志たちを、国事殉難者としてお祀りしたことが、その起源になっています。

のち明治2(1869)年には現在の東京九段にお社が建てられて現在の『靖國神社』になりました。「靖國」の名は、明治天皇が「くにやすかれ」という願いを込めて、あるいは「國を平安にするために殉難した人々を弔うため」という思いから命名されました。

よって靖國神社には、戊申戦争、西南戦争、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、大東亜戦争の戦争において殉難した軍人・軍属をお祀りしています。

ご承知のとおり、戊申の役、及び西南の役で、明治政府の敵方となって殉難された人々につきましてはお祀りされていません。

例えば、戊申の役で薩長軍と戦った会津藩や、京都で攘夷倒幕浪士を切りに切りまくった新選組、あるいは西南戦争で賊軍となった西郷隆盛も祀られていません。

しかし、彼らも立派な国事殉難者だと思います。

維新前夜の京都では、尊王攘夷派といわれた長州藩の一部藩士をはじめ脱藩浪士たちは、ほぼ現在でいうところのテロリストでした。治安行政に責任をもつ幕府や会津藩や新選組がそうしたテロリストを取り締まるのは当然のことです。

そして徳川幕府はもちろん、会津藩も新選組も、そして奥羽列藩同盟諸藩も、ことごとく薩長勢力との権力闘争に敗れただけなのであって、なにも彼らは国家の解体や転覆を目論んでいたわけではありません。日本国が外国の植民地にならないため、あるいは無理やりに締結させられた不平等条約を解消するため、一心に国家日本の独立を望んでいた、というその一点において薩長藩閥と何ら変わらないのです。

特に我が尊敬する小栗上野介忠順は、旗本として幕府への忠義を尽くしつつ、幕閣の反対を押し切って「横須賀造船所(製鉄所)」をつくりました。時は欧米列強がその海軍力にものをいわせて次々に有色人種の第三世界を植民地化していった時代です。自前の造船所(海軍力)をもたない国家はいずれ列強の植民地になってしまうことを痛感していたからです。

そればかりではなく、近代国家をつくるには近代産業が必要であり、この横須賀造船所を近代産業発祥の地にしようと考えたのです。結果、現にそうなりました。我が国の近代産業は横須賀造船所からはじまったといっても過言ではありません。

日露戦争でロシア・バルチック艦隊を完膚なきまでにした連合艦隊司令長官の東郷平八郎元帥にして、日本海海戦で日本が勝利できたのは「小栗さんのお陰です」と言わしめました。

大隈重信もまた、のちに明治政府の近代化路線をひいたのは「小栗上野介だった」と語っています。「明治政府は小栗が構想したことをそのまま真似ているだけだ」とも。

ぜひとも、小栗公もお祀りして頂き、英霊としてその功績を称えるべきです。

ただ、その英雄を殺したのは敵国でなく薩長という自国民であったことが残念です。それも戦争ではなく無実の罪を着せて強引に首を跳ねました。

明治維新後、小栗を歴史から抹殺したのは薩長です。学校教育では徹底してその名と功績を排除しました。

でないと、「そんな立派な人を誰が殺したんですか?」と、子供たちに訊かれてしまうからです。

なお、靖國神社には祀られるべき人々がまだまだおられます。それにつきましては機会を改めて・・・