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議会報告 未分類

日本国憲法第9条と武力行使について2010/05/03    

本日、5月3日は憲法記念日である。

昭和22年の今日、日本国憲法が施行された。翌、昭和23年には、国の成長を期するため、5月3日を憲法記念日とし国民の祝日とした。

ただし現行憲法は、被占領下において制定されたものであることを忘れてはならない。

ここ数年、この5月3日を記念して、全国各地で「護憲集会」や「憲法9条を守る会」などの催しが行われているようである。

そこで今日は、「日本国憲法第9条と武力行使について」をテーマにして、私の考えの一端を以下のとおり述べてみたい。

                                                                    1.まず言葉の定義について

(1)憲法とは、英語でConstitution(コンスティテューション)という。その意味は、憲法というだけでなく、国家の組織形態、政体、体格、体質、という意味をもっている。(研究社『新英和辞典』)
つまり憲法とは、国家の体格や体質のことであり「国体」をさす。その国の歴史や伝統や文化を体現したものであるという。

(2)武力行使とは、撃滅、撃沈、撃墜のこと。

                                                                     2.憲法と国の主権について

そもそも主権国家(独立国)における憲法とは、主権の発動である。このことはあたりまえすぎて、三宅隆介は三宅隆介である、と言うに等しい。

だが、現在の日本国憲法は、昭和21年11月3日に公布された。
昭和20年9月2日に日本が降伏文書に調印してから、昭和27年4月28日に日本が独立を回復するまでの間、日本国はGHQの占領下にあった。

占領下にあったということは、「主権がなかった」とうことである。つまり、現在の日本国憲法は日本が主権を有さないときに制定されたものである。先述のとおり、主権がないのに憲法など作れるはずがない。

主権がなかったという証拠は、日本国憲法ができた後も、日本国憲法に基づかない裁判と死刑が日本国内で執行されている。裁判や死刑執行は、国の最高法規である憲法に基づいて行われるものである。日本国憲法に基づかない裁判や死刑執行が行われたのは、日本国憲法の上にGHQという権力があった証拠である。

因みに、国際法(ハーグ陸戦条規43条)は、占領中にその国の憲法や法律を勝手に変えたり作ったりすることを禁じている。にもかかわらず米国はそれを破り、日本国憲法を制定させた。

国際法とは国際社会において、各主権国家が守らなければならない法規である。各国の憲法は国内法であるが、その国内法に対して、主権国家は国際法といういわば国外法によっても規制されている。また、一度批准した条約は国内法と同じ効力をもつ。米国はその法規を破り、罪を犯したことになる。

従って本来であれば、日本は、昭和27年4月28日に独立を回復したのち、速やかに占領中につくられた日本国憲法を無効とし、主権の発動たる新たな日本国憲法を制定するべきであった。それをしてこなかったのは、これまでの政治家と彼らを選んできた日本国民の怠慢ではなかったか。

                                                                                 3.国際法と武力行使について

(1)国際法は、国家の武力行使について、次のA~Cの3つの武力行使を認めている。
A.自衛権(個別的自衛権ともいう)
B.集団的自衛権
C.集団安全保障の集団的措置

(2)それぞれの武力行使の性質
A(自衛権)は、個人に与えられている正当防衛と同じ。自分の身を守ってくれる警察官がいない場合、自分で自分を守らねばならない。そのために行う武力行使は正当防衛であり、いずれの主権国家も、これをもっている。

B(集団的自衛権)は、自分の家族や、自分の隣に住んでいる人が襲われた場合、国連軍という警察が来るまでのあいだ、一緒に戦って守ってあげる権利のこと。親が子供を守るために、あるいは子供が親を守るために行う武力行使も、国際法上認められている。(法的根拠は、国連憲章第51条)

C(集団安全保障の集団的措置)は、ボランティアで行われている町会の夜警のようなもの。町会に加盟している人や家族がみんなで、町の安全を維持すること。もし無法者がでたら、町会をあげて武力行使を行う。(法的根拠は、国連憲章第1条)
ポイントはAとBが権利であるのに対し、Cは責務であること。そのことは後述する。

(3)国際法上、認められていない武力行使
国際法上、認められていない武力行使は、外交の解決手段としての武力行使。および侵略戦争のための武力行使である。(根拠となる国際法は、昭和3年のパリ不戦条約)
このパリ不戦条約を簡単にいうと、侵略戦争は認めないが自衛の戦争は認める、という条約。ただし、侵略と自衛の定義は未だ明確にされていない。

因みに、『日本国憲法』第9条は、この『パリ不戦条約』第1条の丸写しと言われている。

パリ不戦条約第1条
「締約国は、国際紛争解決の為戦争に訴えることを非とし、かつその相互関係において国家の政策の手段としての戦争を放棄することをその各自の人民の名において厳粛に宣言す。」

日本国憲法第9条
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」

4.A・B・Cのそれぞれの武力行使は日本国憲法9条に違反しているか

(1)憲法9条は「自衛権」(A)を認めているか?
日本国憲法第9条は、紛争を解決する手段としての国権の発動たる戦争および武力行使を禁じており、自国を守るための戦争や武力行使を否定していない。このことは、日本の国会において内閣法制局もそのように答弁している。

パリ不戦条約についても、侵略戦争や政策手段としての戦争や武力行使を禁じているものであり、自衛の戦争を否定していない。この条約の起草者であるケロッグ米国国務長官がアメリカ議会においてそのように答弁している。

つまり自衛権は、憲法上も国際法上も認められている。そもそも、自分の国を自分で守れない国を主権国家とはいわない。独立とは、英語でIndependence(インディペンデンス)という。インディペンドは、依存しない、という意味である。他者に自国の安全と平和を依存していては「独立国=主権国家」と言えない。

(2)憲法9条は「集団的自衛権」(B)を認めているか?
内閣法制局の国会答弁では、「日本国憲法は集団的自衛権を認めているが、それを行使することはできない」という中途半端な見解が示されている。これは明らかにおかしい。

日本は、昭和31年12月18日に、国連憲章を批准して国際連合に加盟した。その国連憲章第51条には、国連加盟国は個別的にも集団的にも自衛権を有し、国連憲章はそれを犯すものでないと謳われている。

そして日本は、昭和26年9月8日にサンフランシスコ講和条約を批准して独立(主権)を回復し、同時に日米安全保障条約を締結した。このサンフラシスコ条約第5条と日米安全保障条約の前文にも、個別的自衛権と集団的自衛権を有することが明示されている。

さらには、現行の日本国憲法第98条にも、「日本国が締結した条約および確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」ことが謳われている。

つまり、集団的自衛権は日本国憲法によってその遵守を命じられていることになる。これを無視する内閣法制局は、「条約遵守義務」という憲法に違反していることになる。
したがって、憲法9条は、Bの集団的自衛権を認めているのである。

(3)憲法9条は「集団安全保障の集団的措置」(C)を認めているか?
集団安全保障の集団的措置とは、簡単に言えば「町会の夜警」と似ている。町会を国連に置き換えればよい。つまり、この集団的措置を行うのは、国連である。そのことは、国連憲章第1条に明確に規定されている。先述のとおり、日本は昭和31年に国連に加盟した。しかも何の条件もつけずに国連憲章を批准して加盟したのである。すなわち、日本は国連が主導する集団安全保障の集団措置に率先して参加する責務を負っている。

A.自衛権 B.集団的自衛権 の二つが権利であるのに対し、
C.集団安全保障の集団的措置 は責務である、とうのはそのためである。

そもそも日本国憲法は、日本が占領されている中で制定された憲法である。当時、その憲法をつくった米国は、まさか日本が国連に加盟することになるとは思ってもいなかった。だから日本国憲法は集団安全保障の集団的措置を何ら想定していない。

つまり、日本国憲法第9条は、集団安全保障の集団的措置を禁止してもいないし、肯定もしていない。くりかえしになるが、想定していないというのが実状である。
よって、憲法9条は集団安全保障の集団的措置を禁止していない。

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国連とは、集団安全保障を実践するための組織であり、米国が主導してつくった。もともとは、第二次世界大戦後、米国が米国主導の国際秩序を構築するため、またそのことを国際社会に公認させるためにつくった。だからこそ、国連の安保常任理事国は、第二次世界大戦の戦勝国で構成されている。敗戦国であった日本やドイツが加盟していなかったのもそのためである。国連主導の集団安全保障が米国主導のそれとなっても不思議なことではない。
米国が国連を主導することを良とするか、悪とするかの問題は別の政治問題である。もし、これを悪とし改めるのだとすれば、再び世界大戦を起こし、新たな軍事秩序を形成しなおさなければならない、という人もいる。

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(1)平成2年に勃発した湾岸戦争は、最初は英米が集団的自衛として立ち上がり、その後、国連決議に基づいた国連軍ならぬ多国籍軍ができた。よって、集団安全保障の集団的措置。

(2)昭和25年の朝鮮戦争は、当初は集団的自衛で始まったが、数日後、ソ連欠席の中で安保理決議がだされ国連軍ができた。よって集団安全保障の集団的措置。

(3)ベトナム戦争は、北ベトナムによる南ベトナムへの間接侵略に対する米国の集団的自衛権の行使である。これは国連決議に基づく集団安全保障の集団的措置ではない。

(4)問題は、安保理決議(武力行使容認決議)のないままに実施されたNATOによるコソボ攻撃と、平成15年のイラク攻撃であるが、武力行使容認決議はなかったものの、各種国連決議にもとづいて行われた以上、集団安全保障の集団的措置である。厳密に言えば、集団安全保障の集団的措置の慣習法的変形といっていい。

(5)先日まで行われていた海上自衛隊によるインド洋での給油活動は、完璧な集団安全保障の集団的措置である。これに参加することは日本の責務であるはずなのに、政府は撤退をした。アフガニスタンにおけるテロ退治は、国連決議(決議番号1368)にもとづいた集団的措置である。これを支援し給油することは日本の責務の遂行であって、権利の行使ではない。撤退した明確な説明責任を政府は果たしていない。

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憲法は主権の発動である。主権国家(独立国家)は、自国の防衛という基本的な役割を担っている。決してそれを他者に依存しない。依存しないからこそ主権(独立)国家なのである。

しかし、日本国憲法の前文には、つぎの一文がある。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」

この一文は、自らの安全と生存を他者に委ねている、ことを明示している。この憲法の前文のとおり、日本人は世界の諸国民の公正と信義に信頼してきた。しかし信頼していた北朝鮮の人々は、私たちの同胞を拉致したり殺したりした。こうした日本の脅威に対して自国の政府は何もしてくれず、拉致問題解決にもひたすら他国の協力を求めている。この一点をもって、日本は未だ主権国家(独立国家)とはいえない。